顔面神経管は側頭骨錐体部内を走行する骨性管状構造で、第VII脳神経である顔面神経を保護し通過させる重要な解剖学的構造です。この管は内耳道底から始まり茎乳突孔で終わり、全長は約30-35mmです (Standring, 2015)。管の直径は最も狭い部分で約0.68mmと非常に細く、特に迷路部では神経が圧迫を受けやすい構造となっています (Proctor and Nager, 1982)。

J0030 (右の側頭骨:切断、外側部を削り取って鼓室とその周囲を示す図)


J1051 (前庭と半規管は、浸軟化された骨から外側に開く)

J1055 (右側の側頭骨を横切った断面で、上部から見た下半分の図)

J1056 (右側の側頭骨を垂直に切断し、外側の切断面を内側からの図)

J1057 (右側の側頭骨を垂直に切り取った部分、中央部分:外側からの図)

顔面神経管は走行方向と位置関係により、以下の3つの主要区間に分類されます:
1. 迷路部 (Labyrinthine segment)
内耳道底から顔面神経管膝(膝神経節)まで続く最短区間で、長さは約3-5mmです (Rhoton, 2000)。この部分は前内側から後外側に向かって走行し、蝸牛の基底回転の上方を通過します。迷路部は顔面神経管全体の中で最も直径が狭く(約0.68mm)、神経の浮腫や炎症時に圧迫を受けやすい解剖学的特徴があります (Fisch, 1984)。膝神経節はこの部分の終端に位置し、ここで神経は前方から後方へ約75°の急峻な角度で屈曲します。
2. 鼓室部 (Tympanic segment)
膝神経節から第二膝部まで続く区間で、長さは約8-11mmあります (May and Schaitkin, 2000)。この部分は鼓室腔の内側壁(迷路壁)を後方に向かってほぼ水平に走行し、卵円窓の上方に位置します。鼓室部の骨壁は薄く、時に骨欠損(dehiscence)を伴うことがあり、その頻度は約55%との報告があります (Baxter, 1971)。この骨欠損により、中耳炎などの感染が顔面神経に波及しやすくなります。鼓室部では鐙骨筋神経が分岐します。
3. 乳突部 (Mastoid segment)
第二膝部から茎乳突孔まで続く最長区間で、長さは約10-14mmです (May and Schaitkin, 2000)。この部分は垂直に下降し、外側半規管の後方、乳突洞の前方を通過します。乳突部では鼓索神経が分岐し、これは顔面神経管の前壁を貫いて再び鼓室腔に入ります。茎乳突孔で顔面神経は頭蓋骨から出て、耳下腺内で5つの主要枝(側頭枝、頬骨枝、頬筋枝、下顎縁枝、頸枝)に分岐します。
顔面神経管内では、顔面神経とともに中間神経(nervus intermedius)が走行し、膝神経節で合流します。また、管内には茎乳突動脈からの分枝である顔面神経の栄養血管が伴走しています (Donkelaar, 2020)。
顔面神経管は多くの耳科疾患および神経疾患において重要な臨床的意義を持ちます:
1. 側頭骨骨折と顔面神経損傷
側頭骨骨折は顔面神経麻痺の主要な外傷性原因です。骨折の方向により予後が異なり、錐体長軸に対して横方向の骨折(横骨折)では約40-50%で即時性の完全顔面神経麻痺が生じます (Fisch, 1984)。これは骨折線が顔面神経管を横断し、神経を直接損傷するためです。一方、錐体長軸に沿った骨折(縦骨折)では顔面神経麻痺の頻度は約10-20%と低く、遅発性で不完全麻痺が多いとされています (Brodie and Thompson, 1997)。CT画像で顔面神経管の骨折や骨片転位が確認された場合、外科的減圧術の適応が検討されます。
2. ベル麻痺(特発性顔面神経麻痺)
ベル麻痺は最も頻度の高い末梢性顔面神経麻痺で、人口10万人あたり年間約20-30例が発症します (Peitersen, 2002)。その病態は、ウイルス感染(特に単純ヘルペスウイルス1型)による神経の炎症と浮腫であると考えられています。顔面神経管、特に迷路部は非常に狭い骨性管であるため、神経の浮腫により管内圧が上昇し、神経の虚血性変化を引き起こします。この「骨性管による絞扼効果」がベル麻痺の症状悪化に寄与すると考えられており、急性期のステロイド治療はこの浮腫を軽減することで神経保護効果を発揮します (Grogan and Gronseth, 2001)。重症例では顔面神経管開放術による外科的減圧が検討されることもあります。
3. 顔面神経鞘腫
顔面神経鞘腫は顔面神経のシュワン細胞から発生する良性腫瘍で、顔面神経管内のいずれの区間にも発生しうりますが、膝神経節部と鼓室部に好発します (Brackmann et al., 2010)。腫瘍の増大により骨性管が拡大し、CTやMRIで顔面神経管の拡大として描出されます。臨床症状として緩徐進行性の顔面神経麻痺、難聴、耳鳴などが生じます。治療は腫瘍の完全摘出が基本ですが、顔面神経の犠牲を伴うことが多く、神経移植や神経縫合が必要となります。