下顎枝 Ramus mandibulae
下顎枝は下顎骨の後上方に位置する垂直な板状構造であり、咀嚼機能および顎関節の運動において中心的な役割を果たす解剖学的構造です(Standring, 2016; Moore et al., 2022)。本項では、下顎枝の詳細な解剖学的特徴、組織学的構造、機能的役割、臨床的意義、および関連する病態について包括的に記述します。

J0061 (下顎骨:下方からの図)

J0062 (下顎骨、右半分:外側からの図)

J0063 (下顎骨、右半分:内側からの図)

J0284 (右側の顎関節:外側からの図)

J0414 (右側の咀嚼筋、背側からやや内側からの図)

J0422 (口腔底の筋:口腔側からの図)
1. 解剖学的特徴
下顎枝は下顎骨体部の後端から上方へ伸びる四角形の垂直な板状構造であり、以下の詳細な解剖学的特徴を有します:
- **形態と構造:**下顎骨体部から約110-120度の角度で上方へ伸びる垂直な板状構造です。成人における下顎枝の平均的な高さは約5-7cm、幅は約3-4cmです(Fehrenbach and Herring, 2017; Netter, 2019)。
- **外側面(Lateral surface):**比較的平滑で、咬筋(masseter muscle)の付着部となっています。外側面には時に咬筋粗面(masseteric tuberosity)と呼ばれる粗造な部分が認められ、これは咬筋の強固な付着を可能にしています(Standring, 2016)。外側面の下部には下顎角(mandibular angle)が形成され、これは下顎骨体部と下顎枝が交わる部位です。
- **内側面(Medial surface):**内側面には以下の重要な解剖学的構造が存在します:
- **下顎孔(mandibular foramen):**下顎枝内側面の中央やや上方に位置し、下歯槽神経(inferior alveolar nerve)、下歯槽動脈(inferior alveolar artery)、下歯槽静脈(inferior alveolar vein)が通過します(Iwanaga et al., 2021)。下顎孔の前方には舌小突(lingula)と呼ばれる三角形の骨性突起が存在し、蝶下顎靭帯(sphenomandibular ligament)の付着部となっています。
- **下顎溝(mandibular groove):**下顎孔から下顎骨体部に向かって下前方に走行する溝で、下歯槽神経血管束が通過する下顎管(mandibular canal)の入口部を形成します。
- **翼突筋粗面(pterygoid tuberosity):**内側面の下部には内側翼突筋(medial pterygoid muscle)の付着部となる粗造な領域が存在します。
- **上縁(Superior border):**下顎枝の上縁には2つの重要な突起が存在し、これらは下顎切痕(mandibular notch)によって分離されています:
- **筋突起(coronoid process):**前方に位置する三角形の突起で、側頭筋(temporal muscle)の腱が付着します。筋突起は咀嚼時に側頭筋の収縮により下顎を挙上させる重要な力学的支点となります(Netter, 2019)。
- **関節突起(condylar process):**後方に位置し、上端に下顎頭(mandibular condyle)を形成します。下顎頭は側頭骨の下顎窩(mandibular fossa)および関節結節(articular tubercle)と顎関節(temporomandibular joint, TMJ)を構成します。関節突起は下顎頸(mandibular neck)と下顎頭から成り、外側翼突筋(lateral pterygoid muscle)の下頭が下顎頸の前面に付着します(Okeson, 2020)。
- **下顎切痕(mandibular notch, sigmoid notch):**筋突起と関節突起の間に存在するU字型の凹みで、下顎神経の枝である咬筋神経(masseteric nerve)と咬筋動脈(masseteric artery)が通過します(Moore et al., 2022)。
- **前縁(Anterior border):**下顎骨体部の外斜線(external oblique line)に連続し、比較的鋭利な縁を形成します。
- **後縁(Posterior border):**関節突起から下顎角にかけて滑らかな曲線を描き、耳下腺(parotid gland)の前縁と接します。
- **下顎角(mandibular angle, gonial angle):**下顎骨体部と下顎枝が交わる部位で、通常約120-130度の角度を形成します。下顎角の大きさは年齢、性別、咬合状態によって変化し、臨床的に重要な解剖学的指標となります(Proffit et al., 2019)。外側面には咬筋が、内側面には内側翼突筋が付着します。
2. 組織学的構造
下顎枝は緻密骨(compact bone)と海綿骨(cancellous bone)から構成されます:
- **緻密骨層:**下顎枝の外側面および内側面は薄い緻密骨層で覆われており、咀嚼筋の付着による機械的ストレスに対する抵抗力を提供します。
- **海綿骨:**緻密骨層の間には海綿骨が存在し、骨梁(trabeculae)のネットワークを形成しています。海綿骨の配列は咀嚼時の応力分散に適応した構造となっており、主応力線(principal stress trajectories)に沿って配列しています(Standring, 2016)。
- **下顎管:**下顎孔から始まり、下顎骨体部を貫通してオトガイ孔(mental foramen)に至る骨性管で、下歯槽神経血管束を収容します。
3. 機能的役割
- **咀嚼筋の付着部:**下顎枝は以下の咀嚼筋の付着部として機能します:
- **咬筋(masseter muscle):**外側面に付着し、下顎を挙上させる主要な筋です。
- **側頭筋(temporal muscle):**筋突起に付着し、下顎の挙上および後退運動を担います。
- **内側翼突筋(medial pterygoid muscle):**内側面の下部に付着し、下顎の挙上および前突運動を補助します。
- **外側翼突筋(lateral pterygoid muscle):**下頭が関節突起の前面(下顎頸)に付着し、下顎の前突運動、開口運動、側方運動において重要な役割を果たします(Netter, 2019)。