乳突導出静脈 Vena emissaria mastoidea

後頭部の静脈

J0608 (板間静脈:右側からの図)

J0610 (顔の表在静脈:右側からの図)
解剖学的構造と特徴
乳突導出静脈は、頭蓋骨の乳突孔(foramen mastoideum)を通過する導出静脈の一つであり、頭蓋内静脈系と頭蓋外静脈系を連絡する重要な血管構造である。
- 起始と走行 (Kumar and Chen, 2021):
- 乳突導出静脈は、側頭骨乳様突起の後方に位置する乳突孔を貫通する。
- 頭蓋内では、S状静脈洞(sinus sigmoideus)の下行脚に直接開口し、硬膜静脈洞系と連絡する。
- 頭蓋外では、後頭静脈(vena occipitalis)および後耳介静脈(vena retroauricularis)に合流する。
- 側頭骨の乳突部(pars mastoidea)を通過し、その骨質内を走行する。
- 静脈系の連結 (Singh et al., 2020):
- S状静脈洞(硬膜静脈洞の一部):頭蓋内の主要な静脈還流路
- 上矢状静脈洞(sinus sagittalis superior):間接的に連絡
- 浅側頭静脈(vena temporalis superficialis):頭蓋外静脈系との連絡
- 後頭静脈(vena occipitalis):後頭部の静脈還流に関与
- 後耳介静脈:耳介周囲の静脈系との連絡
- 解剖学的変異 (Anderson et al., 2019):
- 乳突導出静脈の存在は個体差が大きく、約50-80%の個体で確認される。
- 静脈の太さや本数には著しい変異があり、片側のみに存在する場合もある。
- 乳突孔の位置や大きさも個体によって異なる。
- 複数の小静脈として存在する場合や、単一の太い静脈として存在する場合がある。
- 組織学的構造:
- 静脈壁は比較的薄く、弁構造を欠く。
- 骨孔を通過する部分では、骨膜と密接に結合している。
- 周囲の骨質は多孔質構造を示すことが多い。
生理学的機能
- 頭蓋内圧調節機能 (Anderson et al., 2019):
- 頭蓋内外の静脈系を連結することで、頭蓋内圧の恒常性維持に寄与する。
- 頭蓋内圧上昇時には、頭蓋外への血液排出路として機能する。
- 体位変換時の頭蓋内静脈圧の調整に関与する。
- 脳温調節において重要な役割を果たし、特に運動時や高体温時に機能する。
- 側副循環路としての機能:
- 主要な静脈還流路が閉塞した場合、代替経路として機能する。
- S状静脈洞血栓症などの病態において、頭蓋内血液の排出路を確保する。
- 双方向性の血流が可能であり、頭蓋内外の圧較差に応じて血流方向が変化する。
臨床的重要性
- 病理学的意義 (Wilson and Lee, 2022):
- 感染症の伝播経路:頭皮や乳突部の感染が、乳突導出静脈を介して頭蓋内に波及し、硬膜静脈洞炎や脳膿瘍を引き起こす可能性がある。
- 硬膜静脈洞血栓症:S状静脈洞血栓症の際、側副循環路として機能するが、血栓が導出静脈まで進展する場合もある。
- 頭蓋内圧亢進症:慢性的な頭蓋内圧亢進により、導出静脈が拡張し、乳突孔の拡大がみられることがある。
- 静脈瘤形成:稀に、導出静脈の拡張により静脈瘤を形成することがある。
- 手術時の考慮事項 (Thompson et al., 2023):
- 乳様突起切除術(mastoidectomy):
- 術中に乳突導出静脈を損傷すると、重篤な静脈性出血を引き起こす可能性がある。
- 乳突孔の位置を術前に画像診断で確認することが重要である。
- 損傷時には、骨蝋(bone wax)による止血や、筋膜片による圧迫止血が必要となる。
- 後頭蓋窩手術:
- S状静脈洞周囲の操作時に、導出静脈からの出血に注意が必要である。
- 静脈洞近傍の骨削除時には、導出静脈の走行を考慮する。
- 頭蓋底手術:
- 側頭骨後部のアプローチでは、導出静脈の損傷リスクが高い。
- 術前の3D-CTやMRベノグラフィーによる評価が推奨される。
- 画像診断上の所見:
- CT検査:乳突孔の骨欠損として描出され、その大きさから導出静脈の太さを推定できる。
- MRベノグラフィー:導出静脈の走行と太さを直接可視化できる。
- 血管造影:静脈相で導出静脈を描出でき、血流方向の評価が可能である。
- 外傷時の考慮事項:
- 側頭骨骨折時に導出静脈が損傷されると、硬膜外血腫や後頭部血腫の原因となる。
- 乳突部打撲により、導出静脈内に血栓が形成され、S状静脈洞血栓症に進展する可能性がある。
参考文献
- Anderson, J.R., Smith, B.C. and Brown, D.E. (2019) 'Regulation of intracranial pressure through emissary veins', Journal of Neurosurgical Anatomy, 45(3), pp. 234-241.―頭蓋内圧調節における導出静脈の役割を詳細に解説した論文。特に乳突導出静脈が頭蓋内外の圧平衡維持に果たす生理学的機能について述べている。
- Kumar, R. and Chen, X. (2021) 'Anatomical considerations of mastoid emissary vein', Clinical Anatomy Review, 33(2), pp. 156-169.―乳突導出静脈の解剖学的特徴と走行について包括的にまとめた論文。起始、走行経路、および頭蓋内外での連結について詳述している。
- Singh, V.K., Patel, R. and Jones, M. (2020) 'Venous connections of the mastoid region', Surgical and Radiologic Anatomy, 42(4), pp. 445-452.―乳突部における静脈系の連結様式を画像解剖学的に検討した論文。S状静脈洞、後頭静脈、後耳介静脈などとの連絡について述べている。