腕頭静脈 Vena brachiocephalica

J0618 (縦隔胸部の静脈、腹面図)
解剖学的構造と形成
腕頭静脈(無名静脈とも呼ばれる)は、上大静脈を形成する主要な静脈幹であり、頭頚部および上肢からの静脈血を心臓へ還流させる重要な血管です。左右一対存在し、それぞれが胸鎖関節の後方で内頚静脈と鎖骨下静脈の合流により形成されます(Standring, 2020)。
- **右腕頭静脈:**長さ約2.5cm、ほぼ垂直に下行し、第1肋軟骨の後方を通過します。胸鎖関節の後方で始まり、短く垂直な経路をとるため、中心静脈カテーテル留置の際に好まれる側となります(Moore et al., 2017)。
- **左腕頭静脈:**長さ約6cm、左胸鎖関節の後方で始まり、胸骨柄の後方で大動脈弓および腕頭動脈、左総頚動脈、左鎖骨下動脈の前方を右下方へ斜めに横切ります。右側より長い経路をとるため、解剖学的変異や圧迫による臨床症状が生じやすい特徴があります(Moore et al., 2017)。
- **上大静脈の形成:**左右の腕頭静脈は第1肋軟骨の後方で合流し、上大静脈を形成します。この合流部は静脈角(venous angle)と呼ばれ、胸管などのリンパ管が合流する重要な解剖学的ランドマークです(Standring, 2020)。
流入する静脈
腕頭静脈には以下の重要な静脈が流入します(Standring, 2020):
- **下甲状腺静脈:**甲状腺下極からの静脈血を集め、主に左腕頭静脈に流入します。甲状腺手術時に重要な解剖学的構造となります。
- **内胸静脈:**前胸壁および乳腺からの静脈血を集めます。乳癌の静脈性転移経路として臨床的に重要です。
- **椎骨静脈:**頭蓋内および脊髄からの静脈血を排出します。
- **最上肋間静脈:**第1〜3肋間静脈からの血液を集め、右側は奇静脈に、左側は左腕頭静脈に流入します。
- **縦隔静脈:**胸腺、心膜、気管、食道などの縦隔臓器からの小静脈が流入します。
解剖学的変異:大動脈後性左腕頭静脈
左腕頭静脈の走行には稀な解剖学的変異が存在し、その中で最も重要なのが**大動脈後性左腕頭静脈(retroaortic or postaortic left brachiocephalic vein)**です(Adachi, 1933; 北村ら, 1981)。この変異では、左腕頭静脈が通常の経路である大動脈弓の前方ではなく、上行大動脈または大動脈弓の後方を横切って右腕頭静脈に合流します。
発生学的には、胎生期の静脈系の異常な退縮または遺残によって生じると考えられています。正常な発生過程では、左右の前主静脈が腕頭静脈となりますが、この過程での異常が大動脈後性左腕頭静脈を形成します(Yoshida et al., 1984)。
臨床的意義
- **中心静脈カテーテル留置:**腕頭静脈は中心静脈カテーテル(CVCやPICCライン)の主要な経路です。左側からのアプローチは経路が長く屈曲するため、右側が好まれます(McGee and Gould, 2003)。大動脈後性左腕頭静脈の存在は、カテーテル留置を困難にする可能性があります。