


解剖学的位置と構造
食道の頚部は第六頚椎(C6)から第一胸椎(T1)にかけた短い管状部分で、長さは約5~6cm(食道全長の約1/5)です(Standring, 2021)。解剖学的には輪状軟骨の下縁(C6レベル)から胸骨切痕(T1レベル)までの範囲に位置します(Moore et al., 2018)。頚椎の前面に沿って下降し、正中線からやや左側に偏位する傾向があります(Drake et al., 2020)。食道の始まりは輪状咽頭筋の下端に相当し、この部位は食道の生理的狭窄部の一つとして知られています(Netter, 2019)。
周囲の関連構造
頚部食道の前方には気管が位置し、両者の間には疎性結合組織が存在します(Standring, 2021)。この間隙には左右の反回神経(特に左反回神経)が走行しており、食道と気管の接合部は「気管食道溝」と呼ばれます(Gray and Standring, 2016)。反回神経は喉頭の内転筋を支配しており、食道手術の際には損傷のリスクが高い重要な構造です(Moore et al., 2018)。食道の両側には総頚動脈、内頚静脈、迷走神経、交感神経幹からなる重要な神経血管束が並走しています(Netter, 2019)。後方には頚椎と椎前筋膜があり、食道は椎前筋膜と気管の間の狭い空間を通過します(Drake et al., 2020)。甲状腺の左葉は頚部食道の前外側に接しており、甲状腺手術の際には食道損傷に注意が必要です(Sinnatamby, 2018)。
組織学的特徴
組織学的には、頚部食道は4層構造(粘膜、粘膜下層、筋層、外膜)を持ちます(Young et al., 2020)。粘膜は重層扁平上皮で覆われており、咀嚼された食物の通過に適した構造となっています(Mescher, 2021)。粘膜下層には粘液腺が豊富に存在し、食物の通過を滑らかにします(Kierszenbaum and Tres, 2020)。筋層は上部では主に横紋筋、下部に向かうにつれて平滑筋へと移行する特徴的な構造を持ちます(Young et al., 2020)。この移行部は咽頭から食道への随意的嚥下から不随意的な蠕動運動への移行を反映しています(Moore et al., 2018)。外膜は疎性結合組織からなり、周囲構造との可動性を保っています(Standring, 2021)。頚部食道には3つの生理的狭窄部のうち最上部の狭窄(輪状咽頭狭窄)が含まれ、この部位は食道異物の停滞や食道癌の好発部位として臨床的に重要です(Sinnatamby, 2018)。
血管支配と神経支配
頚部食道への動脈血供給は主に下甲状腺動脈の枝によって行われます(Netter, 2019)。静脈還流は下甲状腺静脈を経て腕頭静脈へ注ぎます(Moore et al., 2018)。リンパ排液は深頚リンパ節、特に気管傍リンパ節へ向かいます(Standring, 2021)。神経支配は迷走神経と交感神経幹からの線維によって行われ、食道の運動機能と感覚機能を調節しています(Drake et al., 2020)。反回神経は食道筋への運動神経として機能し、食道の蠕動運動に重要な役割を果たします(Gray and Standring, 2016)。
臨床的意義
頚部食道は3つの生理的狭窄部の一つである輪状咽頭狭窄部を含むため、異物の停滞が起こりやすい部位です(Kuo and Urma, 2022)。特に魚骨や大きな食物塊がこの部位に嵌頓することが多く、緊急内視鏡的除去が必要となることがあります(Zhang et al., 2017)。また、周囲に気管、反回神経、総頚動脈などの重要構造が密集しているため、食道穿孔や食道癌の浸潤が致命的合併症を引き起こす可能性があります(Ovassapian et al., 2018)。食道穿孔は縦隔炎や膿胸を引き起こし、死亡率の高い病態です(Moore et al., 2018)。
食道癌の約15-20%が頚部食道に発生し、診断時には気管や反回神経への浸潤が問題となることが少なくありません(Zhang et al., 2017)。頚部食道癌の治療は外科的切除、放射線治療、化学療法の組み合わせで行われますが、周囲の重要臓器への浸潤により根治的切除が困難な場合も多く、予後は比較的不良です(Kuo and Urma, 2022)。また、頚部食道は内視鏡検査や経鼻胃管挿入、気管挿管の際の重要な通過点でもあり、これらの処置時には食道損傷に注意が必要です(Ovassapian et al., 2018)。
先天性疾患として、気管食道瘻や食道閉鎖症がしばしば頚部または上部胸部食道に発生し、新生児期に診断・治療が必要となります(Standring, 2021)。また、Zenker憩室は下咽頭収縮筋と輪状咽頭筋の間の弱点から発生する後天性憩室で、頚部食道の最上部に好発します(Drake et al., 2020)。
参考文献