短頭(上腕二頭筋の)Caput breve (Musculus biceps brachii)
上腕二頭筋の短頭は、上肢の主要な筋肉である上腕二頭筋の二つの頭の一つで、解剖学的および臨床的に重要な特徴を持っています(Gray, 2020; Standring, 2021)。

J0163 (右肩甲骨、筋の起こる所と着く所:背面からの図)

J0427 (広頚筋を除去した後の右胸部の筋:腹側図)

J0429 (右の胸筋(第2層)、正面からの図)

J0465 (右肩関節の腹側の筋:掌側図)

J0466 (右上腕の筋:掌側図)

J0467 (右上腕の筋(第2層):掌側図)

J0934 (右の腕神経叢(鎖骨下部)が下から前に向かっている図)
解剖学的特徴
- 起始:肩甲骨の烏口突起(喙状突起)の先端部。長頭が肩甲骨関節上結節から起始するのに対し、短頭はより前内側に位置します(Netter, 2019; Moore et al., 2018)。
- 停止:
- 主要停止部:橈骨粗面(上腕二頭筋腱を介して)。この付着部は前腕回外時に最大の力学的効率を発揮します(Sinnatamby, 2018)。
- 副次的停止部:上腕二頭筋腱膜(lacertus fibrosus)を介して前腕屈筋群の筋膜に付着し、特に尺側手根屈筋の筋膜に連続します(Standring, 2021)。
- 解剖学的位置と形態:
- 肩関節の前方から上腕の前面を走行し、長頭と比較して内側(正中側)に位置します。
- 筋腹は紡錘形を呈し、上腕中央部で長頭と合流して共通の筋腹を形成します。この合流部は個体差があり、上腕の近位1/3から中央部の範囲で見られます(Moore et al., 2018)。
- 短頭の筋線維は長頭よりも短く、平均長は約12-15cmで、羽状角度は約10-15度です(Platzer, 2018)。
- 神経支配:筋皮神経(musculocutaneous nerve, C5-C6神経根由来)により支配されます。神経は烏口腕筋を貫通した後、上腕二頭筋の深層に進入し、短頭と長頭の両方に分枝を送ります(Woodburne & Burkel, 2017; Drake et al., 2019)。
- 血液供給:
- 主要血管:上腕動脈の枝、特に上腕深動脈(深上腕動脈)の筋枝。
- 副次的血管:前上腕回旋動脈および後上腕回旋動脈からの分枝も筋の近位部に血液を供給します(Drake et al., 2019; Netter, 2019)。
- 静脈還流:上腕静脈および腋窩静脈系を介して行われます。
- 筋膜関係:
- 上腕筋膜(brachial fascia)の浅層に位置し、皮下組織を介して皮膚に接します。
- 深層では烏口腕筋と上腕筋に接し、内側では内側上腕筋間中隔に隣接します(Sinnatamby, 2018)。
機能的役割
- 肘関節における作用:
- 強力な肘関節屈曲:上腕二頭筋は肘関節の最も強力な屈曲筋の一つで、最大屈曲力は約3-5kgの負荷を持ち上げることができます。この力は肘関節が90度屈曲位にあるときに最大となります(Neumann, 2017)。
- 屈曲効率:短頭は長頭と協調して作用し、肘関節の全可動域にわたって安定した屈曲力を提供します。
- 前腕における作用:
- 前腕の回外(supination):橈骨粗面への付着により、前腕を回外位に回転させます。この作用は特に肘が90度屈曲位で、かつ抵抗がある状態で最も効率的です(Neumann, 2017; Kapandji, 2019)。
- 回外力:上腕二頭筋は回外筋(supinator muscle)と協調して前腕回外を行いますが、上腕二頭筋の方が回外筋よりも強力な回外力を発揮します。
- 肩関節における作用:
- 上腕の前方挙上(屈曲)の補助:特に肘が伸展位にある場合に顕著です。
- 上腕の内転補助:烏口突起からの起始により、軽度の内転作用を持ちます。
- 関節安定化:長頭と協調して上腕骨頭を関節窩(肩甲骨関節窩)に押し付け、肩関節の前方安定性に寄与します(Kapandji, 2019; Standring, 2021)。
- 姿勢制御と協調運動:
- 上腕二頭筋短頭は、日常生活動作(ADL)において重要な役割を果たします。特に物を持ち上げる、引き寄せる、食事をするなどの動作で活発に働きます。
- 等尺性収縮により、肘関節の位置を安定させる機能も持ちます(Platzer, 2018)。
臨床的意義
- 上腕二頭筋腱炎:
- 短頭の付着部である烏口突起周囲での炎症は、前腕および上腕前面の疼痛の原因となります。
- 症状:肩の前面痛、特に肘屈曲や前腕回外時の痛み、烏口突起の圧痛。
- 原因:過度の使用(overuse)、反復的な動作、加齢による腱の変性(Ahrens & Boileau, 2015; Miller et al., 2016)。
- 診断:身体診察(Speed's testやYergason's test)、超音波検査、MRI検査が有用です。
- 治療:保存的治療(休息、氷冷、非ステロイド性抗炎症薬、理学療法)が第一選択。重症例では腱鞘内ステロイド注射や外科的治療が検討されます。
- 烏口突起骨折:
- 短頭の牽引力により骨片の転位(下方および内側への変位)が生じる可能性があります。
- 機序:直接外傷(肩への直達外力)または間接外傷(転倒時に手を突いた際の力の伝達)。
- 合併症:腋窩神経や腕神経叢の損傷、血管損傷のリスク。
- 治療:多くは保存的治療で管理されますが、転位が大きい場合や多発外傷の場合は観血的整復固定術(ORIF)が必要となることがあります(Miller et al., 2016)。
- 上腕二頭筋断裂:
- 発生頻度:短頭の断裂は長頭の断裂よりも稀です。長頭断裂が約90-95%を占めるのに対し、短頭断裂は5-10%程度です(Ahrens & Boileau, 2015)。
- 症状:完全断裂時には「Popeye sign(ポパイサイン)」と呼ばれる特徴的な筋腹の下垂変形が見られます。これは断裂した筋腹が遠位に移動し、上腕の下部に膨隆として現れる現象です。
- 機序:急激な肘屈曲運動(重量物の持ち上げなど)、直接外傷、慢性的な腱炎の進行。
- 診断:臨床所見(Popeye sign、筋力低下)、超音波検査、MRI検査。
- 治療:若年者や活動性の高い患者では外科的修復が推奨されます。高齢者や低活動性の患者では保存的治療も選択肢となります。短頭単独断裂の場合、長頭が残存するため機能的予後は比較的良好です(Miller et al., 2016)。
- 筋皮神経損傷:
- 筋皮神経の損傷により上腕二頭筋(短頭・長頭)の麻痺が生じます。
- 症状:肘屈曲力の著明な低下(特に回外位での屈曲)、前腕外側の感覚障害(外側前腕皮神経領域)。
- 原因:肩関節脱臼、上腕骨近位部骨折、医原性損傷(腋窩リンパ節郭清など)。
- 予後:神経の完全断裂では機能回復が困難ですが、不全麻痺では自然回復の可能性があります(Woodburne & Burkel, 2017)。