下唇下制筋は表情筋の一つで、下唇の運動と表情形成に重要な役割を果たします。以下に解剖学的特徴と臨床的意義について詳述します。

J0064 (下顎の右半分、筋の起こる所と着く所:外側からの図)


J0079 (頭蓋骨、筋の起こる所と着く所を示す:前面からの図)



**起始:**下顎骨体部前面のオトガイ孔下方、下顎底近くのオトガイ隆起外側部から起始します(Drake et al., 2019; Standring, 2020)。起始部は下顎骨の斜線(oblique line)の下方に位置し、幅約1-2cmの領域に広がります。筋線維は下顎骨の骨膜から直接起こり、一部は広頚筋の深層線維と連続しています(Netter, 2019)。
**停止:**下唇の皮膚および粘膜に停止します。筋線維は下外側から上内側へ斜めに走行し、下唇の皮下組織と口輪筋の線維に交錯しながら停止します(Moore et al., 2018)。一部の線維は正中線を越えて対側の筋と交錯し、また一部は口角部に達して口角下制筋の線維と混在します(Standring, 2020)。停止部では筋線維が皮膚真皮層と強固に結合し、この結合が下唇の直接的な牽引を可能にしています(Drake et al., 2019)。
下唇下制筋は薄い四辺形の筋で、厚さは約2-4mmです(Hur et al., 2014)。筋線維は下外側から上内側へ約30-45度の角度で斜めに走行します。筋束の配列は比較的平行で、表情筋としては線維の密度が高い部類に属します(Standring, 2020)。
筋の幅は起始部で約15-20mm、停止部で約10-15mmです。長さは個人差がありますが、平均して20-30mm程度です(Netter, 2019)。筋線維の走行方向は下唇を下方および外側に引く作用に最適化されています。
**運動神経:**顔面神経(第VII脳神経)の下顎縁枝(marginal mandibular branch)によって支配されます(Standring, 2020)。顔面神経は耳下腺を貫通後、5つの主要枝に分かれますが、下顎縁枝はその中で最も解剖学的変異が大きい枝として知られています(Hwang et al., 2005)。
下顎縁枝は下顎骨の下縁に沿って前方に走行し、顔面動脈の後方または前方を通過します。約30-40%の症例で下顎縁枝は下顎骨の下縁よりも下方(頸部側)を走行するため、頸部手術や下顎骨手術の際に損傷のリスクがあります(Hwang et al., 2005)。神経は下唇下制筋の深層(骨側)から筋に進入し、筋内で複数の枝に分かれて筋線維を支配します。
**感覚神経:**筋および周囲組織の感覚は三叉神経(第V脳神経)の下顎神経によって媒介されます。特にオトガイ神経(mental nerve)が下唇の皮膚および粘膜の感覚を担当します(Moore et al., 2018)。
**動脈:**主に顔面動脈(facial artery)からの下唇動脈(inferior labial artery)によって栄養されます(Moore et al., 2018)。顔面動脈は外頸動脈の前方枝で、下顎骨の前縁で顔面に到達します。下唇動脈は口角の外側約1-2cmの位置で顔面動脈から分岐し、口輪筋と下唇下制筋の間を水平に走行します(Standring, 2020)。
下唇動脈は下唇の深層で対側からの動脈と吻合し、下唇の血管輪(vascular arcade)を形成します。この血管輪は下唇の豊富な血流を保証し、外科手術の際の出血リスクを高める要因となります(Drake et al., 2019)。
補助的な血液供給として、オトガイ動脈(mental artery)からの枝も下唇下制筋に到達します。オトガイ動脈は下歯槽動脈の終末枝で、オトガイ孔から出て周囲組織に分布します(Netter, 2019)。
**静脈:**静脈還流は顔面静脈およびその枝を通じて行われます。下唇静脈(inferior labial vein)は下唇動脈に伴行し、最終的に顔面静脈に注ぎます。顔面静脈は内頸静脈に流入します(Moore et al., 2018)。