後環椎後頭膜 Membrana atlantooccipitalis posterior
後環椎後頭膜は、頭蓋底と第一頚椎(環椎)を連結する解剖学的に重要な膜性構造です。この膜は、脊柱の安定性と神経血管構造の保護に不可欠な役割を果たしています(Tubbs et al., 2011)。

J0297 (後頭部、環椎、軸椎とその靱帯:後方からの図)

J0302 (後頭骨と最初から三番目までの頚椎を含む正中矢状断とそのリング状の組織:左方からの若干図式化された図)
解剖学的特徴
- 位置と走行:
- 環椎(第一頚椎)の後弓上縁から大後頭孔の後縁に至る膜構造です(Standring, 2021)。
- 後頭骨と環椎の間の後方部分を埋める重要な連結組織です。
- 構造的特徴:
- 主に弾性線維と膠原線維から構成され、黄色靭帯の頭側への延長と考えられています(Newell, 2008)。
- 厚さは約1.5〜2.0mmで、その弾性により頭部の後屈時に伸展します(Cramer and Darby, 2014)。
- 中央部は比較的薄く、外側に向かうにつれて厚くなる傾向があります。
- 血管・神経関係:
- 外側縁に椎骨動脈溝があり、椎骨動脈と第1頚神経が通過します(Osmotherly et al., 2013)。
- この溝は環椎後弓との間で椎骨動脈孔を形成し、重要な神経血管束の保護通路となります。
臨床的意義
- 機能:
- 頭蓋と脊柱の接合部における安定性の確保(Fisahn et al., 2017)。
- 後頭環椎関節の過度な運動、特に過伸展を制限します。
- 脊髄と椎骨動脈を保護する重要なバリアとして機能します。
- 臨床的関連:
- 環軸椎亜脱臼や頭蓋頚椎移行部の不安定性に関与することがあります(Debernardi et al., 2011)。
- 頚部外傷(特にむち打ち症)において損傷を受ける可能性があります(Kaale et al., 2009)。むち打ち損傷では、頭部の急激な伸展-屈曲運動により後環椎後頭膜が過度に伸張され、微小断裂や浮腫を生じることがあります。MRI検査により膜の肥厚や信号変化として検出されることがあり、慢性的な頚部痛の原因となる可能性が指摘されています。
- 後頭神経痛や頚部痛の原因となることがあります。後環椎後頭膜の緊張や炎症は、第1頚神経(C1神経)の刺激を引き起こし、後頭部から頭頂部にかけての放散痛を生じることがあります。この疼痛は、頭部の特定の位置や運動により増悪することが特徴です。
- 頭蓋頚椎移行部症候群の一因となることがあります。関節リウマチや強直性脊椎炎などの炎症性疾患では、後環椎後頭膜を含む靭帯・膜構造の弛緩や破綻が生じ、環軸椎亜脱臼や垂直亜脱臼のリスクが高まります。
- 緊張型頭痛との関連が指摘されています。後環椎後頭膜と後頭下筋群の緊張は、頭蓋内構造への機械的ストレスを増加させ、慢性的な頭痛の原因となる可能性があります(Palomeque-Del-Cerro et al., 2017)。
- 手術的考慮:
- 後頭頚椎固定術や頚椎後方アプローチ手術において重要な解剖学的ランドマークです(Steinmetz et al., 2010)。手術時には、この膜の直下を椎骨動脈が走行していることを常に念頭に置く必要があります。
- 大後頭孔減圧術や頚椎後方開窓術などの手術では、この膜の処理が必要となります。キアリ奇形などの治療において、後環椎後頭膜の切除または開窓により、脊髄液の流れを改善することができます。
- 頚椎後方固定術では、後環椎後頭膜を温存することで術後の瘢痕形成を最小限にし、脊髄や神経根の保護に寄与します。一方で、膜の肥厚や石灰化が認められる場合には、神経圧迫の原因となるため切除が必要となることがあります。
- 内視鏡下頚椎手術では、後環椎後頭膜が重要な解剖学的指標となり、その同定により安全な手術操作が可能となります。
- 診断的評価:
- MRI検査では、後環椎後頭膜の肥厚、信号変化、断裂などを評価できます。T2強調画像において高信号を呈する場合、浮腫や炎症の存在が示唆されます。
- CTやX線検査では、膜自体の直接的な評価は困難ですが、石灰化や骨化が生じている場合には検出可能です。
- 超音波検査による評価も試みられており、膜の厚さや動態を非侵襲的に観察できる可能性があります。
- 保存的治療:
- 後環椎後頭膜の機能不全に対して、理学療法や徒手療法が有効な場合があります。後頭下筋群のリリースや頚椎のモビライゼーションにより、膜の緊張を緩和し、症状の改善が期待できます。
- 鍼治療やトリガーポイント注射が、後環椎後頭膜周囲の筋緊張や疼痛の緩和に効果的であるという報告があります。
- 姿勢矯正や頚椎の安定化訓練により、後環椎後頭膜への過度なストレスを軽減することができます。
この構造は、頭部と頚椎の安定性に極めて重要な役割を担っているだけでなく、神経学的および血管的に重要な構造物の保護にも貢献しています(Palomeque-Del-Cerro et al., 2017)。後環椎後頭膜の解剖学的理解は、頚部疾患の診断と治療において臨床医にとって不可欠です。特に、慢性的な頭頚部痛の評価や頭蓋頚椎移行部の外傷・変性疾患の管理において、この膜の状態を適切に評価し、必要に応じて治療介入を行うことが重要です。
参考文献
- Cramer, G.D. and Darby, S.A. (2014) Clinical Anatomy of the Spine, Spinal Cord, and ANS, 3rd edn. Elsevier Health Sciences.——脊椎、脊髄、および自律神経系の臨床解剖学について詳細に解説した教科書。第3版では頭蓋頚椎移行部の膜構造や靭帯の解剖学的特徴が包括的に記載されています。
- Debernardi, A., D'Aliberti, G., Talamonti, G., Villa, F., Piparo, M. and Collice, M. (2011) 'The craniovertebral junction area and the role of the ligaments and membranes', Neurosurgery, 68(2), pp. 291-301.——頭蓋頚椎移行部における靭帯と膜の役割について、解剖学的および機能的観点から詳細に論じた総説。後環椎後頭膜を含む各構造の安定性への寄与が解説されています。
- Fisahn, C., Schmidt, C., Rostad, S., Li, R., Rustagi, T., Alonso, F., Tubbs, R.S. and Chapman, J.R. (2017) 'The Adult Craniocervical Junction: Anatomy, Biomechanics and Fixation', Cureus, 9(11), e1867.——成人の頭蓋頚椎接合部の解剖学、生体力学、および固定術について包括的にレビューした論文。後環椎後頭膜の安定化機能と手術時の考慮事項が述べられています。
- Kaale, B.R., Krakenes, J., Albrektsen, G. and Wester, K. (2009) 'Head position and impact direction in whiplash injuries: associations with MRI-verified lesions of ligaments and membranes in the upper cervical spine', Journal of Neurotrauma, 26(8), pp. 1337-1346.——むち打ち損傷における頭部の位置と衝撃方向が上位頚椎の靭帯および膜の損傷とどのように関連するかをMRIで検証した研究。後環椎後頭膜の損傷パターンが報告されています。
- Newell, R.L.M. (2008) 'The back: The spinal cord, meninges and spinal nerve roots', in Standring, S. (ed.) Gray's Anatomy, 40th edn. Edinburgh: Churchill Livingstone.——Gray's Anatomyの第40版における背部、脊髄、髄膜、脊髄神経根に関する章。後環椎後頭膜の組織学的構成と黄色靭帯との関連性が記載されています。