骨;骨格系

これまでの解剖学用語では、骨や骨格系(Ossa; Systema skeletale)に相当するものを「骨学(Osterlogia)」と呼んでいました。これは、からだの支柱をなす「骨ぐみ」であり、多数の「骨」といくらかの「軟骨」がその構成単位をなす器官であり、これらが多くは関節によって可動的に連結されているものを指します。

骨格には、昆虫や甲殻類に見られる「外骨格」と、脊柱動物に見られる「内骨格」があります。内骨格の構成単位をなすものは「骨」という器官で、人体では骨の数は200あまりです。しかし、頭蓋の上部をつくる骨、顔面の骨の大部分、上肢帯の鎖骨は、本来は外骨格性の「皮骨」が動物の発達の過程で沈下して、内骨格の一部となったものと考えられています。

これらの皮骨性の骨は、その形成から見て、その主要部が結合組織からすぐ骨組織がつくられたもの(結合組織骨、膜骨)であって、内骨格性の骨が先に軟骨性の原基を経て骨になる(原始骨、置換骨)のとは区別されます。

骨組織や軟骨組織は身体の支柱であり、筋とともに身体各部の運動を引き起こします。この支柱を骨格系といい、骨格系と関節系、および骨格筋を合わせて「運動器」という。また、頭蓋や脊柱はなかに中枢神経組織(脳と脊髄)を入れて、それを保護し、胸郭や骨盤は内蔵の一部を入れて保護します。

骨格系はカルシウムやリンなどの重要な鉱質の貯蔵庫でもあります。身体の多くの器官が正しく機能するためにはカルシウムが必要で、血液と骨組織の間で絶えずカルシウムの交換が行われています。また、骨の内部は血液細胞の産生の場である。

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J0001 (骨格:前方からの図)

J0002 (骨格:右方からの図)

日本人のからだ(平田和明 2000)によると

はじめに

明治時代から現在に至るまで、日本人の骨格についての研究が形質人類学の分野で行われてきました。1876年に来日したドイツ人医学者のベルツ(Erwin Baelz)は、日本人骨格の解剖学的(人類学的)研究を行い、「繊細タイプ」と「武骨タイプ」の2つのタイプが存在することを指摘しました。その後、小金井良精によるアイヌと関東地方人、足立文太郎による中国地方人の人骨研究が行われ、長谷部言人の生体計測調査も実施されました。これにより、日本人の地域差の研究が活発化しました。

1914年にドイツのマルチン(Rudolf Martin)による『人類学教科書』が出版され、全身骨格の計測法が確立されました。この手法を用いて、日本では京都大学の清野謙次のグループが畿内人骨の詳細な調査を行いました。その後も、新井正治らによる関東地方人骨、鈴木誠らによる中部地方人骨、岡本規矩男らによる北陸地方人骨、金関丈夫らによる九州地方人骨についての全身骨格の研究が進んできました。

頭蓋については、児玉作左衛門、伊藤昌一らによるアイヌ頭蓋、山崎正文らによる東北地方人、小池敬事ら、森田茂、三橋公平の関東地方人、大槻嘉男の北陸地方人、宮本博人の畿内人、忽那将愛ら、原田忠昭の九州地方人の研究が行われています。

骨格形質の研究には、骨格計測(オステオメトリー)と非計測形質の研究があります。計測的研究方法は、マルチンにより定義された骨格の計測項目と示数で骨形態の変異を数量的に捉えることができます。例えば、現代日本人の頭蓋の計測的研究に関しては、現代日本人頭骨研究班(1981, 1983)による報告があります。

一方、頭蓋には計測的方法では表現できない微細な変異形質(破格)が無数に存在します。これらの形質は胎生期にすでに発現しており、その出現率には人種間あるいは集団間に明らかな差が存在し、遺伝的要因が関与していると考えられています。

また、四肢骨についても、頭蓋と同様にマルチンにより定義された計測項目と示数により骨形態変異を捉えた研究が行われてきました。日本人の平均身長についての調査では、明治時代以降の100年間で男女ともに約10 cm増大していることが分かりました。また、体幹や体肢においても非計測的な変異形質の研究報告が多数あります。これらの骨形質には人種差が認められるものも多く、その成因には遺伝、環境、栄養状態、生活様式など様々な要素が関与していると考えられます。