

鼻唇溝(Sulcus nasolabialis)は、鼻翼の外側から口角に向かって弧を描くように走行する明瞭な溝で、解剖学的には鼻翼から口角へと続く顔面の陥凹部です。この溝は、上唇挙筋(musculus levator labii superioris)と大頬骨筋(musculus zygomaticus major)の間に形成され、皮下組織と表情筋の走行に影響されています(Rubin et al., 2019)。
組織学的には、皮膚の下に存在する表情筋群と皮下脂肪組織の配列によって形成されています。特に上唇挙筋、小頬骨筋(musculus zygomaticus minor)、口角挙筋(musculus levator anguli oris)などの表情筋の走行と付着部位が鼻唇溝の深さと形状を決定します(Beer et al., 2014)。解剖学的研究によると、鼻唇溝の深さは皮下組織の構造と表情筋の付着様式に大きく依存しています(Beer et al., 2014)。
Rohrich and Pessa(2007)は、顔面の脂肪区画と鼻唇溝の関係についての解剖学的研究を行い、顔面の脂肪分布が鼻唇溝の形成に重要な役割を果たすことを示しました。彼らの研究では、顔面の脂肪は個別の区画に分かれており、これらの区画の容積変化が鼻唇溝の深さに影響を与えることが明らかにされました(Rohrich and Pessa, 2007)。
臨床的には、加齢による皮膚の弾力性低下と重力の影響で鼻唇溝は徐々に深くなり、顔の印象を大きく左右します。Coleman and Grover(2006)は、加齢による顔面の容積減少と三次元的地形変化について考察し、鼻唇溝の深化が顔面老化の主要な指標であることを示しました。彼らの研究では、加齢に伴う顔面の変化は単なる皮膚のたるみではなく、深部組織の容積減少による三次元的な変化であることが強調されています(Coleman and Grover, 2006)。
また、顔面神経麻痺の評価や顔面非対称の診断において重要な指標となります。美容医療の分野では、ヒアルロン酸注入やフィラー治療の主要なターゲット部位の一つとなっています。Carruthers et al.(2008)の多施設共同無作為化並行群間試験では、鼻唇溝に対するボツリヌストキシンAとヒアルロン酸フィラーの安全性と有効性が検証されており、両治療法とも統計的に有意な改善効果が確認されています(Carruthers et al., 2008)。
鼻唇溝の形態は個人差が大きく、民族的特徴や年齢、性別によって異なります。Pessa et al.(1998)は、50体の半側顔面解剖を行い、中顔面の筋肉の解剖学的バリエーションを分析しました。この研究では、上唇挙筋と頬骨筋群の走行パターンに個体差があることが明らかにされ、これが鼻唇溝の形態的多様性の解剖学的基盤となっていることが示されました(Pessa et al., 1998)。
特に東アジア人と西欧人では鼻唇溝の形状や深さに差異が見られ、これは顔面骨格の違いや皮下脂肪分布の差異に起因すると考えられています。Lai et al.(2016)は、東アジア人と西欧人の鼻唇溝の比較研究を行い、民族間の形態的差異を明らかにしました。彼らの研究では、東アジア人の鼻唇溝は西欧人と比較して浅く、より垂直方向に走行する傾向があることが示されています(Lai et al., 2016)。
鼻唇溝は胎生期に形成され始め、顔面の発生過程において重要な指標となります。特に第一鰓弓と第二鰓弓の境界に相当し、顔面の発生過程を反映しています。Sperber(2001)の「Craniofacial Development」では、頭蓋顔面の発生学が網羅的に解説されており、鼻唇溝の発生学的意義が詳述されています。同書では、顔面突起の融合過程と表情筋の発達が鼻唇溝の形成に関与することが説明されています(Sperber, 2001)。顔面の先天異常の診断においても、鼻唇溝の形態は重要な手がかりとなります。
Rubin et al.(2019)の最新研究では、鼻唇溝が笑顔のメカニズムにおける「要石」(keystone)として機能することが示されており、表情と鼻唇溝の関連が詳細に解説されています。彼らの研究では、大頬骨筋と口輪筋の相互作用が鼻唇溝を介して伝達され、これが自然な笑顔の形成に不可欠であることが解剖学的および生体力学的に実証されました(Rubin et al., 2019)。