キヌタ骨 Incus
キヌタ骨(砧骨)は、中耳にある3つの耳小骨(ossicula auditus)のうちの1つで、その形状が古代の鍛冶道具である「砧(きぬた)」に似ていることからこの名前が付けられました(Standring, 2016)。解剖学的・機能的に重要な構造です。
解剖学的特徴
- 位置:キヌタ骨は中耳腔内でツチ骨(malleus)とアブミ骨(stapes)の間に位置し、音の伝導経路の中間に位置しています(Moore et al., 2014)
- 大きさ:成人では約3mm×4mm×2mmと非常に小さな骨です(Netter, 2019)
- 構造:
- キヌタ骨体(corpus incudis):最も大きな部分で、前側にはツチ骨頭と関節する鞍状の関節面(facies articularis)があり、キヌタ・ツチ関節(incudomalleolar joint)を形成します(Drake et al., 2020)
- キヌタ骨短脚(crus breve):後方に向かって伸び、靭帯によって鼓室後壁のキヌタ骨窩(fossa incudis)に固定されています(Gulya et al., 2019)
- キヌタ骨長脚(crus longum):下方に向かい、先端は内側に曲がって豆状突起(processus lenticularis)となり、アブミ骨頭と関節してキヌタ・アブミ関節(incudostapedial joint)を形成します(Chummy, 2017)
- 発生:第一鰓弓の軟骨(メッケル軟骨)から発生します(Schuknecht, 1993)
機能的役割
- 音伝導:鼓膜の振動をツチ骨から受け取り、アブミ骨へと伝える音伝導の重要な要素です(Pickles, 2012)
- 音の増幅:キヌタ骨は、レバーの原理を利用して音の振動を約1.3倍に増幅する役割も担っています(Von Békésy, 1960)
- 内耳保護:突然の強い音圧から内耳を保護する機構の一部として機能します(Dallos et al., 1996)
臨床的意義
- 耳硬化症(otosclerosis):アブミ骨の固着を特徴とする疾患で、キヌタ・アブミ関節の動きが制限されます(Merchant and Nadol, 2010)
- 中耳炎:慢性中耳炎では炎症によりキヌタ骨が壊れることがあり、伝音難聴の原因となります(Bluestone, 2005)
- 耳小骨連鎖離断:外傷や手術によりキヌタ骨とツチ骨またはアブミ骨との連結が離断すると、音の伝導が障害されます(Park et al., 2016)
- 耳小骨形成術:伝音難聴の治療としてキヌタ骨を用いた再建術や人工耳小骨による置換術が行われます(Brackmann et al., 2010)
キヌタ骨は小さな構造ですが、聴覚システムにおいて音の伝導と変換に不可欠な役割を果たしており、その病理は重要な臨床的意義を持ちます(Probst et al., 2006)。
参考文献
- Standring, S. (2016) Gray's Anatomy: The Anatomical Basis of Clinical Practice, 41st edn. — 現代の臨床解剖学の標準的教科書で、詳細な解剖学的知識を提供
- Moore, K.L., Dalley, A.F. and Agur, A.M.R. (2014) Clinically Oriented Anatomy, 7th edn. — 臨床的視点から解剖学を解説した教科書