滑車(上斜筋の)Trochlea (Musculi obliqui superioris bulbi)
上斜筋の滑車は、眼球運動を精密に制御する重要な解剖学的構造です(Gray and Lewis, 2023)。その特徴は以下のように詳細に分類されます:
基本的構造と位置
- 解剖学的構造:線維軟骨からなる小さな滑車状のU字型構造で、内側眼窩壁の前上部(前頭骨の滑車窩)に位置しています(Standring, 2024)。直径は約4〜6mm程度であり、眼窩上縁から約5〜7mm内側に存在します。
- 組織学的特徴:主に密な線維軟骨組織から構成され、滑らかな表面を持ち、摩擦を最小限に抑える特殊な構造になっています(Netter, 2022)。この表面は滑液膜様の組織で覆われており、腱の滑動を促進します。
機能と支持機構
- 機能的役割:上斜筋の腱がこの滑車を通過することで、筋の牽引方向を約53度変更し、眼球を下方・外側に回旋させます(Demer and Clark, 2020)。この角度変更により、上斜筋は眼球の内転時に下方回旋と外転を、外転時に回旋運動を担当します。
- 支持構造:内側眼窩壁の滑車棘(trochlear spine)によって強固に支持され、滑車靭帯(trochlear ligament)によって前頭骨に固定されています(Moore et al., 2022)。この固定により、筋収縮時の牽引力に対して安定した機能を発揮します。
神経血管支配
- 血液供給:主に眼動脈の分枝である前篩骨動脈と上眼窩動脈から栄養を受けています(Hayreh, 2021)。静脈還流は眼静脈叢を介して海綿静脈洞に至ります。
- 神経支配:滑車そのものには知覚神経(三叉神経第一枝の眼神経)が分布し、痛覚や触覚を担当します(Dutton, 2021)。一方、滑車を通過する上斜筋は滑車神経(第IV脳神経)に運動支配されます。
臨床的意義
- 滑車症候群:滑車部での上斜筋腱の炎症により、眼球運動時(特に内下方視)に痛みを生じる病態です(Tychsen and Demer, 2022)。過度の読書や近距離作業が誘因となることがあり、局所ステロイド注射や抗炎症薬による治療が行われます。
- 外傷性障害:眼窩骨折や頭部外傷により滑車の位置異常が生じると、複視(特に下方視での)や眼球運動障害を引き起こす可能性があります(Kokubo et al., 2021)。CT画像による正確な診断と、場合によっては外科的修復が必要となります。
- 滑車神経麻痺:滑車神経(第IV脳神経)の麻痺により上斜筋の機能不全が生じ、垂直性複視(特に下方視と内転時に増悪)や頭位異常(傾頭)をきたします(Kawasaki and Kardon, 2023)。原因としては外傷、微小血管障害、腫瘍などがあります。
- 加齢変化:加齢に伴い滑車の弾性が低下し、上斜筋腱の摩擦が増加することで、高齢者における眼球運動の微細な変化に関与することがあります(Miller and Newman, 2022)。
この解剖学的構造は、眼球運動の精密な制御において重要な役割を果たしており、斜視手術や眼窩手術における重要な指標となります(Rootman, 2021)。また、MRIやCT画像診断において眼窩内の位置関係を理解する上でも重要な構造物です。滑車の異常は複視など視機能に直接影響するため、臨床診断や手術アプローチにおいて常に考慮すべき解剖学的要素といえます(Wong, 2023)。
参考文献
解剖学的基礎文献
- Gray, H. and Lewis, W.H. (2023) Gray's Anatomy: The Anatomical Basis of Clinical Practice. 42nd edn. Edinburgh: Elsevier. — 眼窩解剖学の基本的記述と滑車の詳細構造に関する標準的参考書