前迷走神経幹 Truncus vagalis anterior
1. 解剖学的位置と基本構造 (Gray and Williams, 2021)
- 前迷走神経幹は、食道神経叢の前面に位置する小さな神経叢であり、左右両側の迷走神経からの神経線維を含む。
- 左迷走神経は、噴門の前面を通過して右側に移行し、この位置で前迷走神経幹となる。その走行経路は比較的一定しており、食道裂孔から噴門部にかけての領域で同定が可能である (Standring, 2020)。
- 噴門部の右側において、左肝神経叢、前胃神経叢、左胃動脈神経叢などの複数の神経叢と密接な神経連絡を形成する。
2. 走行経路と分布パターン (Moore et al., 2022)
- 前迷走神経幹は、食道裂孔を通過後、胃小弯に沿って下行し、主に胃前壁の神経支配を担当する。
- 食道胃接合部付近では、特徴的な扇状の分布パターンを示し、これは外科手術における重要な解剖学的指標となる。
- 腹部内臓への分布において、小網内を走行し、胃前壁、幽門部、および肝臓への枝を分岐する。
3. 主要な神経分枝と機能 (Netter, 2023)
- 前胃枝:胃の消化機能を調節し、胃運動や分泌活動を精密に制御する。
- 幽門枝:幽門括約筋の機能を支配し、胃内容物の十二指腸への排出を適切に調節する。選択的迷走神経切除術の際には、この枝の温存が特に重要である。
- 肝枝:肝臓および胆嚢の自律神経性機能を支配し、胆汁分泌などの重要な機能を調節する。
- 腹腔枝:腹腔神経叢に分布して消化器系全般の自律神経機能を調節し、消化管の協調的な活動を統合的に制御する。
- 小網枝:小網に分布し、腹部内臓の神経支配において重要な役割を果たす。迷走神経切除術の際には、この枝の走行を正確に把握する必要がある。
- 食道枝:食道下部の運動機能と分泌機能を調節し、食道胃接合部の協調的な活動を制御する。
- 噴門枝:胃噴門部の括約筋機能を精密に支配し、胃食道逆流の防止に重要な役割を果たす。
4. 臨床的意義 (Skandalakis et al., 2019)
- 消化性潰瘍の外科的治療において、選択的迷走神経切除術の重要な標的となり、手術計画の立案に不可欠である。
- 胃酸分泌の神経性調節において中心的な役割を果たし、消化器系疾患の病態生理と治療に深く関与する。