下矢状静脈洞 Sinus sagittalis inferior

硬膜静脈洞正中面を左から見た模式図

右大脳半球の内側面の模式図

小脳内側部の静脈

頭部静脈系の側副循環の半模式図

J0607 (右半分の頭蓋の硬膜静脈洞、左側からの図)
解剖学的構造と位置関係:
- 下矢状静脈洞は、大脳鎌(falx cerebri)の下縁(自由縁)に沿って前後方向に走行する硬膜静脈洞であり、左右大脳半球を隔てる大脳半球間裂(大脳縦裂)の深部に位置します(Rhoton, 2002)。
- 大脳鎌は硬膜の正中矢状面における反転部分であり、上矢状静脈洞を含む上縁(付着縁)と、下矢状静脈洞を含む下縁で構成されています。下矢状静脈洞は通常、大脳鎌の前1/3から中央付近(冠状縫合の高さ付近)から始まり、後方へ向かって走行します(Lang and Samii, 2013)。
- 後方(尾側)において、下矢状静脈洞は大脳鎌の後端で大大脳静脈(ガレン大静脈、vena magna cerebri)と合流し、直静脈洞(sinus rectus)を形成します。この合流部は通常、小脳テント(tentorium cerebelli)と大脳鎌の交点付近に位置します(Oka et al., 2015)。
- 直静脈洞はさらに後方へ走行し、静脈洞交会(confluens sinuum、トルクラー・ヘロフィリ)で横静脈洞と合流することで、脳深部の静脈血を最終的に内頸静脈へ導きます。
静脈血の流入と機能的意義:
- 下矢状静脈洞は主として大脳半球内側面の皮質静脈からの静脈血を受け入れます。特に、帯状回(gyrus cinguli)、楔前部(precuneus)、帯状回周囲の大脳皮質からの静脈が流入します(Tubbs et al., 2014)。
- また、脳梁(corpus callosum)からの静脈血も受け入れ、脳深部正中構造の静脈還流において重要な役割を果たしています。
- 下矢状静脈洞は、内大脳静脈系と大大脳静脈を経由する深部静脈還流システムの一部を構成し、最終的に直静脈洞を介して静脈血を還流させます(Yasargil, 2010)。
- 形態学的には、直径は通常1-3mm程度と細く、上矢状静脈洞(通常5-10mm)と比較して著明に細径であることが特徴です。この細径性は、流入する静脈血の量が上矢状静脈洞と比較して少ないことを反映しています(Matsushima et al., 2018)。
解剖学的変異とその頻度:
下矢状静脈洞は高頻度で解剖学的変異を示すことが知られており、この変異性は臨床的に重要な意義を持ちます。157例の解剖体を用いた詳細な顕微解剖学的研究により、以下の出現パターンが確認されています(Kawase et al., 2020):
- **完全型(46%):**大脳鎌の前1/3から後方まで連続的な静脈洞として存在し、明瞭な内腔を有します。
- **欠損型(39%):**下矢状静脈洞としての明確な形成が認められず、大脳鎌の下縁に沿った静脈洞構造が欠如しています。この場合、大脳半球内側面からの静脈血は代替経路(上矢状静脈洞や深部静脈系)を介して還流されます。
- **不完全型(15%):**部分的な形成、断続的な存在、または非常に細い静脈洞として認められます。
これらの変異パターンの存在は、下矢状静脈洞が必ずしも全例で形成される必須の解剖学的構造ではなく、個体差が大きい可変的な静脈洞であることを示しています。
臨床的意義と医療実践への応用:
- 脳神経外科手術における重要性:
- 大脳半球間裂アプローチ(interhemispheric approach)による手術では、下矢状静脈洞およびそこに流入する皮質静脈の損傷を避けることが重要です。特に、前大脳動脈瘤、脳梁腫瘍、第三脳室腫瘍などの手術で問題となります。
- 術前の血管画像評価(MRV、CT venography)により、下矢状静脈洞の存在、走行、発達程度を確認することで、手術アプローチの選択と安全性の向上が図れます(Sindou and Mertens, 2016)。
- 大脳鎌髄膜腫などの腫瘍性病変では、下矢状静脈洞との位置関係が手術の難易度と合併症リスクを左右します。