心切痕[左肺の]Incisura cardiaca pulmonis sinistri

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J0748 (左肺:前外側方からの図)

左肺の心切痕(incisura cardiaca pulmonis sinistri)は、左肺の前縁に見られる特徴的な凹状構造であり、解剖学的には上葉の舌区(S4、S5)に相当する領域に位置しています(Standring, 2020)。この切痕は第4肋軟骨の高さから第6肋軟骨の高さまで垂直方向に伸び、心臓および心膜が占める空間を収容するための形態学的適応を示しています(Moore et al., 2018; Netter, 2019)。右肺にはこのような切痕が存在しないため、心切痕は左肺に特有の解剖学的特徴として認識されています(Drake et al., 2020)。

解剖学的特徴

心切痕は、左肺の前縁が心臓の位置に対応して後内側方向に湾曲することで形成される構造です(Standring, 2020; Gray, 2021)。この部位では臓側胸膜が壁側胸膜と心膜との間に心膜胸膜反射(pleuropericardial reflection)を形成し、心臓と肺の間に明確な境界を作り出しています(Ellis et al., 2022)。胎生期においては、心臓と肺芽が共通の胸腔内で発達する過程で、心臓の拍動による機械的刺激が肺の形態形成に影響を及ぼし、結果として心切痕が形成されると考えられています(Sadler, 2018; Moore and Persaud, 2020)。

心切痕の深さと形状には個体差が認められ、これは心臓のサイズや胸郭の形態、さらには呼吸様式などの生理学的要因によって影響を受けます(Agur and Dalley, 2021)。左肺舌区は心切痕の下縁を形成し、舌状突起(lingula)として前下方に突出することで、心臓の左側面に密接します(Drake et al., 2020)。

臨床的意義

心切痕の理解は、胸部画像診断において極めて重要です。X線単純撮影、CT、MRIなどの画像検査において、心切痕は左肺と心臓の境界を識別するための重要な解剖学的ランドマークとなります(Hansell et al., 2015; Webb et al., 2022)。正常な心切痕の形態を理解することで、心肥大、心拡大、または心膜液貯留などの病的状態を早期に検出することが可能となります(Sutton et al., 2019)。

外科的観点からは、心切痕の領域は開胸手術や胸腔鏡手術の際の重要なアプローチ経路となります(Ellis et al., 2022; Shields et al., 2021)。特に左上葉切除術や舌区域切除術においては、心切痕周囲の血管および神経の走行を正確に把握することが不可欠です(Netter, 2019)。

腫瘍学的観点では、心切痕周囲に発生した肺癌は心膜や心臓への直接浸潤のリスクが高く、T4病変として分類される可能性があります(Detterbeck et al., 2017; IASLC, 2016)。このような症例では、心膜合併切除や心臓血管外科との連携が必要となることがあり、術前の詳細な画像評価が治療方針の決定に重要な役割を果たします(Rusch et al., 2019)。

さらに、心切痕の領域は経皮的心臓カテーテル検査や心膜穿刺の際の解剖学的指標としても利用されます(Otto and Nishimura, 2022)。心切痕を介した心臓へのアクセスは、肺損傷のリスクを最小限に抑えるために重要な知識となります(Bonow et al., 2021)。

参考文献