主膵管とはウィルスングの管とも呼ばれ、副膵管(サントリーニ管)に対しても「主膵管」と呼ばれることがあります。膵臓の主導管で、膵尾から膵島まで貫通し、大十二指腸乳頭で十二指腸に開口しています。膵臓は発生学的には二つの原基から生じます。すなわち、十二指腸から前方に延び出す腹側膵臓(ventral pancreas)と、後に延び出す背側膵臓(dorsal pancreas)です。腹側膵臓の導管がウィルスングの管で、背側膵臓の導管がサントリーニ管は途中でウィルスングの管に吻合する形で合流し、大十二指腸乳頭に開きます。これが(主)膵管です。サントリーニ管の残部は細くなって退化し、副膵管となって小十二指腸乳頭に開きます。腹側膵臓のところからは、更に前方に肝臓の原基が延び出すので、その導管である総胆管は必ず膵管と関係を持ち、副膵管と関連することは絶対にありません。膵管の発見者であるウィルスングは、17世紀中葉にイタリアのバドバ大学で解剖学教授として活躍したドイツ人です。膵管についての記載と図は、当時解剖学の権威として名声の高かったパリのリオランJ. Riolan (1577~1657)への手紙に書かれたもので、彼の著作の中には見えないと言われています。そのためもあろうが、彼は後年(1643)にこの膵管の発見の優先権を他の学者と争って決闘し、そのために殺されてしまったという悲劇がありました。Ductus pancreatiucusはまことに悲壮なエピソードを秘めているのです。副膵管に名を留めているサントリーニ(Giovanni Domenico Santorini, 1681-1737)は、かのマルピーギ(M. Malpighi, 1962-1694)の弟子でした。ウィルスングの膵管と合流する総胆管(ductus choledochus)の語源にも年代のために触れておきましょう。ギリシャ語でcholeは胆汁、dochosは容れものという意味です。古代ギリシャの医学では、体液の性状が健康を保ったり、体や心の病気を引き起こすという、体液説が基本的な考え方でした。「胆汁質」choleicという言葉が怒りっぽくて扱いにくい性格を表現する英語として今でも使われ、メランコリー(melancholy)、つまり胆汁が濃くなっているという意味の言葉が今日に生きています。これは血液や粘膜と共に胆汁が人間の健康や性格や心理を決定する重要な体液と考えられた名残である。 ドイツの解剖学者Johann Georg Wirsung(1600?-1643)により、1642年に記載された膵臓外分泌部(消化腺)の導管です。膵体から膵尾にある小導管を集め、十二指腸に分泌しています。膵管には、大十二指腸乳頭(ファーター乳頭Vater's papilla)に開く主膵管(ウィルスング管Wirsung's duct)と、小十二指腸乳頭に開く副膵管(サントリーニ管Santorini's duct)があり、膵臓内部で連絡を持っています。なお、副膵管が退化して認められない例もあります。