集合リンパ小節(小腸の)Noduli lymphoidei aggregati intestini tenuis

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J0695 (回腸の断面図:腸間膜の起源で切り開かれ、広げられました)

1. 基本的特徴

パイエル板ともよばれる。小腸の集合リンパ小節は多くのリンパ小節が集合したもので、長円板状をなし回腸下部に多く分布する(Mowat and Agace, 2014; Cornes, 1965)。典型的には長さ2-10cm、幅1-2cmの楕円形の隆起として認められ、成人では平均30-40個存在するが、加齢とともに減少する(Van Kruiningen et al., 2002)。組織学的には、小腸粘膜固有層と粘膜下層に位置する二次リンパ組織であり、消化管免疫系(gut-associated lymphoid tissue: GALT)の重要な構成要素である(Brandtzaeg et al., 2008)。腸間膜付着部の対側の腸管壁に好発し、その表面には絨毛が欠如している(Owen and Jones, 1974)。

2. 構造的特徴

集合リンパ小節の上皮はM細胞(membrane/microfold cell)を含む特殊な上皮(濾胞関連上皮:follicle-associated epithelium, FAE)で覆われており、この細胞は腸管内の抗原を取り込み、下層のリンパ球に提示する機能を持つ(Ohno, 2016; Neutra et al., 1996)。M細胞は微絨毛が少なく、細胞質内に大きなポケット構造を持ち、その中にリンパ球やマクロファージが入り込んでいる(Gebert et al., 1996)。集合リンパ小節内部には、T細胞領域(傍濾胞領域、interfollicular region)とB細胞が豊富な胚中心を持つ濾胞(B細胞濾胞)が存在する(Jung et al., 2010)。濾胞は組織化されたリンパ小節からなり、それぞれが胚中心(germinal center)、マントル帯(mantle zone)、辺縁帯(marginal zone)で構成される(Butcher et al., 1982)。さらに濾胞下領域(subepithelial dome, SED)には樹状細胞やマクロファージが豊富に存在し、抗原提示に重要な役割を果たす(Iwasaki and Kelsall, 1999)。

3. 機能的役割

機能的には、腸管内の細菌やウイルスなどの病原体に対する免疫応答の誘導、腸内細菌叢との共生関係の維持、経口免疫寛容の誘導に関与している(Kunisawa et al., 2012; Macpherson and Uhr, 2004)。特にIgA産生プラズマ細胞の分化に重要な役割を果たし、これらの細胞は腸管粘膜全体に移動して分泌型IgAを産生する(Cerutti and Rescigno, 2008; Fagarasan and Honjo, 2003)。パイエル板は経口ワクチンの主要な作用部位でもあり、抗原特異的な免疫応答を誘導する場として機能する(Lycke and Holmgren, 1986)。また、制御性T細胞(Treg)の誘導を通じて経口免疫寛容の確立にも寄与し、食物抗原や腸内細菌に対する過剰な免疫応答を抑制する(Hadis et al., 2011)。

4. 臨床的意義

臨床的意義としては、チフス菌(Salmonella typhi)感染症では、パイエル板が選択的に侵襲され、潰瘍を形成することがある(Sprinz et al., 1966; Hoffman et al., 1984)。チフス熱の第2-3週には、パイエル板の壊死性変化により腸管穿孔や出血をきたすことがあり、重篤な合併症となる(Butler et al., 1985)。また、クローン病では初期病変がしばしばパイエル板に関連して発生し、アフタ様潰瘍がパイエル板上に形成されることが知られている(Fujimura et al., 2010; Morson, 1972)。さらに、腸重積症の先進部となることもあり、特に小児では肥大したパイエル板が原因となることがある(Eberhart and Mays, 1994; Applegate, 2009)。プリオン病(クロイツフェルト・ヤコブ病変異型)では、パイエル板が異常プリオン蛋白の蓄積部位となり、診断的意義を持つ(Hill et al., 1999)。また、B細胞リンパ腫、特にMALTリンパ腫の発生母地となることもある(Isaacson and Wright, 1983)。

5. 歴史的背景

スイスの解剖学者Johann Conrad Peyer (1653-1712)により、1673~1677年に詳細に報告された(Peyer, 1677)。発見されたのはそれよりも前であり、イタリアの解剖学者Gaspare Aselli (1581-1626)やJohann Jakob Wepfer (1620-1695)らによって既に記載されていたが、Peyerが系統的な記述を行ったことからその名が冠されている(Berry and Gottesman, 1981)。

参考文献