
1. 解剖学的特徴
上唇小帯(じょうしんしょうたい, frenulum labii superioris)は、上唇と上顎歯肉の間の正中線上に位置する粘膜のヒダ構造です(Standring, 2020)。解剖学的には口腔前庭(vestibulum oris)の上壁と前壁の移行部に存在し、上唇の粘膜と歯槽粘膜(歯肉)を連結しています(Bath-Balogh and Fehrenbach, 2020)。この構造は上唇と歯肉の連続性を保ちながら、上唇の過度な可動性を制限する役割を担っています(Fehrenbach and Popowics, 2015; Berkovitz et al., 2017)。正中線上に位置することから、左右対称の構造物として認識されます(Moore et al., 2018)。小帯の長さは個体差が大きく、通常は数ミリメートルから1センチメートル程度の範囲にあります(Huang and Creath, 1995)。
2. 組織学的特徴
組織学的には、上唇小帯は重層扁平上皮(stratified squamous epithelium)に覆われており、口腔粘膜の非角化型上皮の特徴を示します(Avery and Chiego, 2006; Nanci, 2017)。その下層には密な結合組織(dense connective tissue)が存在し、固有層(lamina propria)を形成しています(Ten Cate, 1998)。この結合組織内には弾性線維(elastic fibers)が豊富に含まれ、小帯の伸縮性を担保しています(Carda et al., 2005)。また、小血管(微小動脈、静脈、毛細血管網)や感覚神経終末も分布しており、口腔内の触覚や痛覚などの感覚情報の伝達に関与しています(Nanci, 2017; Berkovitz et al., 2017)。コラーゲン線維の走行は主に縦方向で、これが小帯の形態と機能の維持に寄与しています(Carda et al., 2005)。粘膜下層には少量の脂肪組織や小唾液腺が存在することもあります(Squier and Kremer, 2001)。
3. 臨床解剖学的意義
臨床解剖学的観点からは、上唇小帯の形態や付着位置の変異が重要です(Priyanka et al., 2013)。特に上唇小帯が異常に短く肥厚している状態(上唇小帯短縮症、superior labial frenulum hypertrophy)では、上前歯間の正中離開(diastema)を引き起こすことがあります(Devishree et al., 2012; Gkantidis et al., 2008)。Placek et al.(1974)の分類によれば、小帯の付着位置は4つのタイプに分類され、歯間乳頭部に付着するタイプでは正中離開のリスクが高まります。また、歯肉縁に近接して付着している場合、歯肉退縮の原因となったり、口腔衛生の維持を困難にしたりします(Sewerin, 1971; Priyanka et al., 2013)。このような症例では、上唇小帯切除術(frenectomy)または小帯形成術(frenotomy)が適応となります(Koora et al., 2007; Delli et al., 2013)。手術の際には、小帯周囲に分布する上唇動脈の枝や感覚神経(主に上歯槽神経の枝)の損傷に注意が必要です(Edwards, 1977; Sarver and Yanosky, 2005)。矯正歯科治療においても、小帯の付着位置や形態の評価は治療計画の重要な要素となります(Huang and Creath, 1995)。
4. 発生学
発生学的には、上唇小帯は胎生期の口腔前庭の形成過程で出現します(Sadler, 2018; Schoenwolf et al., 2020)。具体的には胎生6〜7週頃に上顎突起と前頭鼻突起の癒合部位に由来し、顔面の正中構造の発生と密接に関連しています(Sadler, 2018; Moore et al., 2018)。胎生8〜10週にかけて、上唇と歯槽突起の間に唇歯溝(labiodental lamina)が形成され、その後の退縮過程で口腔前庭が完成します(Avery and Chiego, 2006; Nanci, 2017)。上唇小帯はこの過程で残存する組織として形成されます(Ten Cate, 1998)。この発生過程の異常が、小帯の形態異常や口唇裂などの先天異常と関連することがあります(Sadler, 2018; Schoenwolf et al., 2020)。また、出生後の成長に伴い、小帯の相対的な位置や形態は変化することが知られています(Huang and Creath, 1995)。
参考文献