顎舌骨筋神経溝 Sulcus mylohyoideus
顎舌骨筋神経溝は、下顎骨の内側面に存在する重要な解剖学的構造物です。この溝は下顎孔から始まり、前下方に向かって走行する浅い溝状の構造で、顎舌骨筋神経(下歯槽神経から分岐)と下歯槽動脈の顎舌骨筋枝を収容しています(Gray, 2020; Moore et al., 2018)。

J0061 (下顎骨:下方からの図)

J0063 (下顎骨、右半分:内側からの図)
解剖学的特徴
- 位置:下顎枝の内側面、下顎孔の前縁から起始し、前下方へ走行
- 走行:下顎体の内側面に沿って前方に進むにつれて徐々に浅くなり、不明瞭となります
- 上方境界:顎舌骨筋線(Linea mylohyoidea)という明瞭な隆起が溝の上方を走り、オトガイ棘方向に向かいます
- 通過構造物:
- 顎舌骨筋神経(N. mylohyoideus):下歯槽神経から分岐し、顎舌骨筋と顎二腹筋前腹を支配
- 下歯槽動脈顎舌骨筋枝(R. mylohyoideus a. alveolaris inferioris):顎舌骨筋と顎二腹筋前腹へ血液を供給
解剖学的変異
日本人を対象とした研究では、約6.2%の症例で顎舌骨筋神経溝骨橋(Mylohyoid bridge)が観察されます(平田, 2000)。この骨橋は、溝が骨性の管状構造に変化したもので、下顎小舌の後方延長部や、より遠位部に形成されることがあります。この変異は民族差があり、人類学的研究の対象となっています(Iwanaga et al., 2016)。
臨床的意義
- 下顎骨手術:下顎枝矢状分割術(SSRO)や下顎骨切除術の際、顎舌骨筋神経の損傷を避けるため、溝の位置を正確に把握する必要があります(Sato et al., 2012)
- 下歯槽神経ブロック:下顎孔伝達麻酔時に、顎舌骨筋神経の走行を考慮する必要があります。顎舌骨筋神経は下歯槽神経ブロックの前に分岐するため、通常の下顎孔伝達麻酔では麻酔されません(Malamed, 2013)
- インプラント手術:下顎臼歯部へのインプラント埋入時、内側皮質骨の穿孔により顎舌骨筋神経や血管を損傷するリスクがあります(Katsumi et al., 2013)
- 骨折:下顎骨骨折時、特に下顎枝部や下顎角部の骨折で顎舌骨筋神経が損傷される可能性があります
- 腫瘍・嚢胞:下顎骨内の病変が拡大した際、顎舌骨筋神経溝の拡大や骨吸収が画像診断で観察されることがあります
神経損傷時の症状
顎舌骨筋神経が損傷されると、以下の症状が現れる可能性があります:
- 顎舌骨筋の麻痺による舌骨の挙上障害
- 顎二腹筋前腹の麻痺