鼓室 Cavitas tympani
鼓室は、側頭骨岩様部の錐体内に位置する不規則な空気腔で、横径約15mm、高さ約15mm、前後径約6mmの大きさを持ちます(Standring, 2020)。外側は鼓膜によって外耳道と隔てられ、内側は内耳の前庭窓と蝸牛窓に面し、前方は耳管を介して咽頭(特に鼻咽腔)と連続しています。
解剖学的構造と機能
鼓室内には、音の伝導に不可欠な三つの耳小骨(ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨)が連鎖状に配列され、鼓膜から内耳への音響エネルギーの効率的な伝達と増幅を担っています(Drake et al., 2019)。これらの耳小骨は靭帯によって支持され、二つの小さな筋肉(鼓膜張筋と鐙骨筋)による制御を受けます。これらの筋肉は、大きな音に反応して収縮し、耳小骨の動きを制限することで内耳を保護する役割があります。
臨床的意義
臨床的に重要な点として、鼓室は中耳炎の主要な場所となります。急性中耳炎では、通常、鼻咽腔からの病原体が耳管を通して鼓室に達し、粘膜の炎症と浸出液の貯留を引き起こします(Probst et al., 2018)。炎症が拡大すると、乳突洞を通じて乳突蜂巣へ波及(乳突炎)したり、錐体尖方向へも拡大(錐体尖炎)したりすることがあります。慢性化すると、耳小骨の癒着や固着による伝音難聴や、まれに内耳への炎症波及による感音難聴を引き起こす可能性があります。
また、鼓室内には顔面神経(第VII脳神経)の鼓室部が走行し、鼓索神経を分枝しています(Moore et al., 2022)。この解剖学的関係から、中耳炎や外科的処置が顔面神経麻痺を引き起こすリスクがあります。
周囲構造との関係
鼓室の各壁は周囲の重要な構造物と隣接しており、臨床的に重要な意義を持ちます(Gulya et al., 2021):
- 上壁(天蓋):薄い骨壁を介して中頭蓋窩の硬膜と接しており、重症な中耳炎が髄膜炎や硬膜外膿瘍を引き起こす経路となりうる。
- 下壁(頸静脈窩):骨壁を隔てて内頚静脈球(頚静脈上球)に面しており、まれに先天的に骨欠損がある場合や骨侵食性疾患では血管性耳鳴の原因となる。
- 前壁:耳管鼓室口があり、内頚動脈管と隣接しているため、この部位の外科的処置には注意が必要。
- 内側壁:最も複雑で、蝸牛の外側壁である岬角(promontorium)を中心に、卵円窓(前庭窓)、正円窓(蝸牛窓)、顔面神経管の隆起などが観察される。
- 後壁:乳突洞入口(副鼓室)があり、顔面神経の下降部、鐙骨筋腱、外側半規管隆起などが位置する。
- 外側壁:主に鼓膜によって構成され、上部に上鼓室(上鼓室窩)が存在する。
参考文献
- Standring, S. (2020) Gray's Anatomy: The Anatomical Basis of Clinical Practice, 42nd Edition. Elsevier.
- Drake, R.L., Vogl, A.W. and Mitchell, A.W.M. (2019) Gray's Anatomy for Students, 4th Edition. Elsevier.
- Probst, R., Grevers, G. and Iro, H. (2018) Basic Otorhinolaryngology: A Step-by-Step Learning Guide, 2nd Edition. Thieme.
- Moore, K.L., Dalley, A.F. and Agur, A.M.R. (2022) Clinically Oriented Anatomy, 9th Edition. Wolters Kluwer.