頚静脈孔 Foramen jugulare
頚静脈孔は、頭蓋底の後頭骨と側頭骨の間に位置する重要な開口部であり、複数の脳神経と主要な血管が通過する解剖学的に複雑な構造です (Standring et al., 2020)。

硬膜静脈洞正中面を左から見た模式図

J0086 (左側からの頭蓋骨の正中切断図)

J0087 (左側からの頭蓋骨の正中断図)

J0904 (硬脳膜と頭蓋骨を通る神経)
解剖学的特徴
頚静脈孔の正確な理解は、頭蓋底外科や神経耳科学において極めて重要です。
- 位置と形成:側頭骨錐体部の後下面(頚静脈窩)と、後頭骨の頚静脈切痕(jugular notch)の間に形成される不規則な形状の開口部です。錐体後頭裂(petrooccipital fissure)の後端に位置し、前方の破裂孔(foramen lacerum)と対比して、後破裂孔(posterior lacerate foramen)とも呼ばれます (Moore et al., 2022; Rhoton, 2000)。
- 内部構造:頚静脈孔内突起(intrajugular process)により、機能的に異なる前後の区画に分けられます (Gray and Standring, 2016; Katsuta et al., 1997):
- 神経部(pars nervosa、前区画):より小さく、前内側に位置し、主に脳神経が通過します。形状は細長く、約3-5mmの幅を持ちます。
- 静脈部(pars vascularis、後区画):より大きく、後外側に位置し、主に静脈構造が通過します。直径は約10-15mmで、個体差が大きいことが知られています。
- 通過する構造物(内側から外側へ):
- 前区画(神経部):
• 第IX脳神経(舌咽神経、glossopharyngeal nerve):下錐体静脈洞の前方を通過し、頚静脈孔を出た後、茎状突起と内頚動脈の間を下行します。
• 第X脳神経(迷走神経、vagus nerve):舌咽神経の後外側を通過し、頚静脈孔内で上神経節(superior ganglion)を形成します。
• 第XI脳神経(副神経、accessory nerve)の延髄根:迷走神経に合流して頚静脈孔を通過します(Katsuta et al., 1997)。
- 後区画(静脈部):
• 内頚静脈(internal jugular vein):S状静脈洞の直接の延長として始まり、頚静脈孔の最も大きな部分を占めます。頚静脈孔内で頚静脈球(jugular bulb)を形成します。
• 後硬膜動脈(posterior meningeal artery):上行咽頭動脈の硬膜枝で、孔を通過して後頭蓋窩の硬膜に分布します。
• 第XI脳神経(副神経)の脊髄根:大後頭孔から上行し、頚静脈孔を通過して延髄根と合流後、再び分離して胸鎖乳突筋と僧帽筋を支配します(Standring et al., 2020)。
- 微小解剖学的特徴:
• 頚静脈孔の形状と大きさには著しい個体差があり、左右差も認められます(通常、右側がやや大きい)。
• 内頚静脈の起始部である頚静脈球の大きさも個体差が大きく、時に側頭骨錐体部まで拡張することがあります(high jugular bulb)。
• 頚静脈孔内突起の発達程度にも個体差があり、時に完全に前後区画を分離する骨性隔壁を形成することがあります(Rhoton, 2000)。
臨床的意義
頚静脈孔症候群(Jugular foramen syndrome、Vernet症候群)は、第IX、X、XI脳神経の複合的な障害により、以下の特徴的な症状を引き起こします (Netter, 2019; Ramina et al., 2005):
- 嚥下障害(dysphagia):第IX、X脳神経の障害により、咽頭収縮筋の麻痺、軟口蓋の麻痺、咽頭反射の消失が生じます。患側への食物の貯留や誤嚥のリスクが高まります。
- 声帯麻痺(vocal cord paralysis):第X脳神経(反回神経を介して)の障害により、同側の声帯が正中位または傍正中位で固定され、嗄声(hoarseness)、発声困難、気道閉塞のリスクが生じます。
- 肩の挙上障害:第XI脳神経の障害により、僧帽筋と胸鎖乳突筋の麻痺が生じ、肩の挙上困難、肩甲骨の翼状化(winging)、頭部回旋の障害が認められます。
- 内頚静脈の圧迫による頭蓋内圧亢進:静脈還流障害により、頭痛、乳頭浮腫、意識障害などが生じる可能性があります。
- その他の症状:
• 味覚障害(舌後方1/3の味覚)
• 耳下腺分泌障害
• 頚動脈洞反射の障害
• Horner症候群(交感神経線維の障害時)
頚静脈孔領域の主要な病変として、以下が知られています (Osborn et al., 2017; Ramina et al., 2005):
- 傍神経節腫(paraganglioma、グロムス腫瘍):頚静脈孔部の傍神経節腫は頚静脈球腫瘍(glomus jugulare tumor)と呼ばれ、この領域で最も頻度の高い腫瘍です。豊富な血管を有し、拍動性耳鳴、伝音性難聴、脳神経障害を呈します。MRIでは特徴的な「salt and pepper appearance」を示します。
- 神経鞘腫(schwannoma):第IX、X、XI脳神経から発生し、緩徐に進行する脳神経障害を引き起こします。特に迷走神経鞘腫が多く、良性で被膜を有するため、全摘出が可能なことが多いです。
- 髄膜腫(meningioma):頭蓋底髄膜腫の一部として頚静脈孔に進展することがあり、硬膜付着部から発生します。骨の肥厚や石灰化を伴うことが特徴的です。